Eggs&Seeds

キレイゴトと毒が目一杯詰まった法科大学院生のブログ。
いつか殻を破って何かになりたいと企みながら
頭に浮かんだ独り言をありのままに吐き出します。皆様見守ってやってください。
感想・ご意見その他、コメント・TB大歓迎☆(但し、スパムは見つけ次第削除させていただきます。)

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経験と想像

自分が経験したことのないこととそれに対する感情を
本物に限りなく近く想像するのはほとんど不可能で
いくら想像してもそれは所詮想像でしかなくて
やっぱりどこか他人事だったと気づく。

身近な人がそういう場面に直面したとき
本当に力になれる人は
リアルな想像ができるだけの経験(豊かな想像力+疑似体験でも可?)を備えた人なんじゃないだろうか。
そうでなければ、ただ無力。
徒然草 ]
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雪景色の美しさ

雪景色を美しい、見たいと思うのは
雪がめったに見られないものであることと
短期間で溶けて消えてしまうこと(もしくは長くても数日で雪のない環境に戻ること)と
雪の及ぼすマイナス面を直接実感しない生活空間にいることが
かなり重要な要素なんじゃないかと思った。

雪国育ちの人が雪景色に感じるものは
一種の懐かしさで美しさとは違うことが多い気がする。

私が普通の海に興味を示さないのと同じかも。
徒然草 ]
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発想の転換

技術的に95%の正確性を実現できたとして
100%の正確性を達成することが不可能なとき

間違いはほとんど無い(あっても例外的)という発想を捨てて
5%の間違いが存在すること(間違いがない方が例外)を前提に据えて
その5%を簡単かつ効率的に補えるような仕組みを考える。

たったこれだけの発想の転換で、
原則と例外を入れ替えるだけで、
生まれるものがガラッと変わる。

既存のモノの見方にとらわれないとか
柔軟な発想というのは
必ずしも奇抜なアイディアを出すことではなく
むしろこういうシンプルな発想の転換ができるかどうか。
徒然草 ]
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仕事に求めるもの

仕事は、お金よりもやりがいだとふと思った。

お金は生活に困らなくて
たまに食事をしたり舞台を見に行ったり
そういう非日常を味わう程度の余裕があればいいや。
非日常的な空間は好きですが
それを日常にしたいとは特に思いません。

そして私がやりがいを感じることは
所属するチーム内で
自分にしかできない役割を持って
その役割を務め上げること。
チームのアウトプットに何かしらの貢献をすること。
誰でもそう思うことだろうけれど。


年末から始めたバイトが
(貢献度は微々たるものですが)
ちょっとそんな感じで面白くなってきて
見事に試験勉強との板挟み。

カテキョはカテキョでまた違ったやりがいがあって、だからずっと続けているんですが
それは「やりがい」というより「楽しさ」に近くて、
職業となるとやっぱり何か違う。
先日も似たようなことを書きましたが、私にとってはチームという要素が大きいもよう。


あと思い出したので余談。
前の記事で選挙の話を書きましたが
最先端の脳科学では
脳波と投票行動の相関が分かりかけているらしいです。
将来的には、脳波を調べるとその人が「どの党に投票するか」の確率を読み取ることができる可能性もあるようで
科学の力はすごいと思う反面、
使い方を誤った場合の怖さも感じます。
徒然草 ]
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地方選挙の舞台裏

バイト先の社長さんから
地方選挙の舞台裏の話を聞いて
(どちらかというと悪い意味での)日本的な一面を垣間見ました。
法律・規制(タテマエ)と実態(ホンネ)の乖離というか。

細かいことは省略するとして
お金をもらって投票することに対して
悪いことだという認識のない人が
少なからず存在するらしいのだけれど

確かによくよく考えてみると
「お金をもらって投票してはいけない」
なんて
義務教育で教わった記憶はありません。


投票という行為の選挙「権」の行使としての側面は教わるけれど
真剣に代表者を選ぶ(どういう態度で投票にのぞむべきか)っていうある種の義務的側面については
あまり言及されてない。
(一般的な傾向として。)


どんな風に考えて、どういう人に投票するのがいいかという話になると
どうしても政治思想と絡んで教えにくいのでしょうが
(これはむしろ境目が微妙なので教壇から教えるべきとは思いません。たとえば生徒会長選挙のようなものを通して自覚を促すものでは。)

少なくとも法律上明らかに禁止されていることくらいは、
きちんと「悪いこと」だと教えた方がいいんじゃないかなと思いました。

ちなみにこの問題、当事者間だけを考えてみるとwin-winが成立しているのが皮肉で怖いところ。

まあそもそも「お金をもらって投票すること」がなぜ悪いのか、本当に悪いのか、という話に持ち込んでしまうと、これまた難しい話になってしまいますが。

でも、少なくとも社会のタテマエとしての法律では「悪」とされていることを知った上で
あえて「悪」を選ぶなら(その選択を肯定するわけではありませんが)、
タテマエ上においても「悪いこと」だという認識のない現状よりはましだと思います。
善悪の問いかけを経た上での選択だから。


こういう倫理感・知識は
本当に国民全員にとって必要なもので
義務教育はそういうものを第一に教える場だと私は思います。
少なくとも英語より
全員が身につける必要性が高いものって
他にもたくさんあるんじゃないかと思ってみたり。



いつのまにかまたまた予定の倍以上の長さになってるわけで、
試験勉強はどうしたのという話ですw

実は最近の記事ほとんど携帯から更新してるんですけど
携帯メールで更新できる機能が若干恨めしい今日この頃。
徒然草 ]
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過去の私と今の私

ケータイからこのブログを見ていたら、「昨年の記事」っていう項目を見つけました。
昨年の1/29には「人付き合い」について書いていて
読んでみて、ああすごく受け身で他力本願で、自分勝手だなあと我ながら感じました(笑)

去年の記事がどんな感じか簡単に言うと、原因が自分の態度にあることには薄々気づきながら、問題の解決を完全に接する相手方に投げてる。
それは解決されなくて当然だと去年の私に言いたくなった。

ここ最近「大抵のことは自分次第でどうにでもなる」がモットーなので余計にw

人見知り(時間的要素とは無関係で、無理のないコミュニケーションがとれるかどうかが相手によって極端)はどう見てもマイナス要因でしかないので
昔から克服したいとは思い続けていますが
いくら念じてみたところで相手の側が変わるわけはありません。当たり前。

しかも自分はそのままで、相手には自分の接しやすい態度を要求するって自分勝手もいいところ。


一対一のコミュニケーションは鏡のようなものだとよく言われます。

自分が自然体でいられるときは
相手もリラックスしているし
自分が背伸びしたり我慢しすぎたり、無理をすると
相手も何か無理する。
こちらが疑心暗鬼になると相手も疑心暗鬼になる。

向かい合っている私がどんな気持ちでいるか
こちらが思う以上に相手は敏感に察知して
それと同じものが私へと跳ね返ってくる。

自分が無理をしている間は
上辺だけの関係しか築けない。

これを逆手にとれば
人見知り状態(無理なコミュニケーションが多い状態)を解消するには
まず自分が自然体になればいい。
「相手に信頼してほしかったら、まず自分が信頼しろ」
と同じ原理ですね。

どんな場面でも楽し「む」という力は
接する相手を楽しませる力につながって
コミュニケーションにおいても大きな武器になるのかも。
と先日の記事ともうまくつながってきましたw


で、私が無理をする最大の原因は
相手の私に対する評価を下げないように、背伸びしたり無難な受け答えをしたりすること。

だから、まだ私に対する評価が固まっていないだろう相手や
一応の私に対する評価はあっても、それが素の私(私の考える私像)と異なるorかけ離れた「私」のイメージに対して下されているように思える相手には、出会って何年経とうが人見知りをする。

要するに、「素の私」を見せたときにどんな評価が下されるのかについて
極端に臆病だということです。


その解決方法は
最初から猫かぶらずに、堂々と素でいればいいじゃんっていうのが結論。
そうすれば評価が変わることなんて心配しなくていい。

それに、某ビジネス書の影響を多分に受けてる感じですが
自分の良しとすることに忠実に過ごしていれば
「素の自分」に対してこれでいい、という自信が持てるはずで
素を見せた結果として離れていく人がいても
それはそれで仕方ないと思える気がする。
(離れていく人が極端に多ければ、「良しとするもの」に問題があるのかもしれませんが。)


というわけで、
人見知りを克服して
無理なくコミュニケーションを取れる相手を広げたければ
まず自分の態度を変えましょうというお話でした。

昔の自分が書いたことにイライラ感を覚えたということは、ちょっとは何か変わったんだろうか。もしかしたら、昔の記事は読んでてつっこみを入れたくなる内容のものが他にもあるかもしれませんね。
何か発見がありそうなので
試験が終わったら昔の記事をちゃんと読んでみようw
徒然草 ]
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ポストイット

ペンケースに入れてポストイットを持ち歩いてるんですが
気づくとぐちゃぐちゃになっているのが悩みの種。

薄いカバーとか小さなケースを付けてくれればいいのに。悲惨な状態のポストイットを見て、ペンケースに入るサイズのケースがあれば別売りでも買うかもと真剣に思ったw

余談ですが文房具で最近のお気に入りは
こすると消えるマーカーと、好きな色を選べる三色ボールペン。

文房具のような実用的なアイディア商品を考えるのって楽しそう。「ボールペンは消せない」とか「三色ボールペンは赤青黒」とか、誰も疑わない既成概念をいかに打ち破るかみたいな。

奇をてらいすぎて売れずに消えていく商品も多いのでしょうが、盲点をついてヒット商品を生み出せたら、「してやったり」な気分になりそうです(笑)

特許とか実用新案って、一見くだらない(と言ったら失礼ですが)ものもたくさんありますよね。申請だけで見たらなおさら。毎日見てる審査官はうんざりしそうですが。
でもそこから思いがけない発明が生まれたり、身の回りに欠かせない製品の一部になっていたり。本来の用途ではイマイチでも、たまたま思いついた別の用途では大成功したり。そこから人々の生活様式さえもガラッと変えてしまったり。
意外と、そういう大きな変化をもたらす発明って、最初の最初はものすごく些細な思いつき。そんな小さな発見や気づきをうまく育てられた結果が、世紀の大発明なんでしょうね。


そんなことを想像したらなんだか楽しくなってきて、知財は大事!って改めて思い返しました。ちなみに今知財の勉強の一休み中だったりします(笑)


最初はポストイットのことだけ書くつもりで
知財のことなんてさっぱり頭に無かったんですか
文章を書き始めると、次から次へと考えが浮かんできて、色々な話に飛び火しました。

ポストイットのことを漠然と考えてるときはここまで考えが及ばなかったのに、不思議です。

よく言われていることですが、思いついたことを何でもいいから文章にしてみるって、考える良い機会になりますね。


徒然草 ]
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言い訳

忘れないようにもう一つ。

想いやwantがないと踏ん張りがきかないっていうのは言い訳。

さっきの記事に書いたのと同じ先輩から言われてはっとしました。

迷っているなら迷っているなりに
選択肢に上がっている全てのベクトルに向かって頑張るしかなくて
その分一つのベクトルに割くリソースが少なくなっても
それは迷ってる自分が悪い。

これをやると決めたら
それが自分のwantなんだという一種の自己暗示も
ある意味では必要。

こういうことをはっきり言ってくれる人が周りにいるのは、とても幸せなことだと思います。


「徒然草」カテゴリーを読み返すと
大体似たようなことで揺れ動いていて
内容的に矛盾した記事もいっぱいあって
その時々で私はどんな考え方をしていたのか
よく分かって面白かったり。

読み返したりしてるからますます勉強が進まないんですけどねw
徒然草 ]
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MissionとWant

私はMissionにこだわりすぎていたのかもと
ある先輩と話していて気がつきました。

私がずっとWantや想いと呼んできたものには
実はWantとMissionが混ざっていて
二つをごちゃ混ぜにしていたから
よけいに訳が分からなくなって
どうやって見つけたらいいかすら分からない閉塞感とに苛まれていたような気がします。

世間一般の定義はどうか分かりませんが、私の中では
Mission→長い目で見てやり遂げる目標
Want→好き嫌いに照らしてやりたいかどうか
という感じに落ち着いてきました。

うまく説明できませんが、好きなこと、進んでやりたいと思うこと、こうありたいという憧れ等は全部Want。目的達成の手段とか、集団内のポジションとか、美味しいものが食べたいとか、自分がこうなりたい・こうしたいと思うことは些細なことも全て。

MissionはWantの一部かもしれないけれど
全てのWantがMissionでは決してない。
wantの円の中でもmust(should)と重なるところがMissionなのかな?

Missionに出会えるかどうかは、人それぞれのタイミングも関わる問題だと、その先輩はおっしゃっていましたが、確かにそうだと納得しました。
Wantは多かれ少なかれ誰にでもあるもので、Missionはまだ無いこともありえるもの。


数多くあるWantの中から、いくつかを選び出してくっつけたりして、他のWantを犠牲にしてでも目指すべきと強く思えるものが、Mission。


つまり何をいいたいかというと

Missionが無い状態でもある物事がWantに属するか否かの判断はできて、
Wantから外れたものはMissionにもならないだろうから
さし当たって進路選択をするときは、Missionが無いなら、働き方に対するWantで判断すればいいのでは、ということです。
Wantに属するかどうかなら、帰納的にも判断しやすいし。
もちろん確固としたMissionが既にあるのなら、そこから下ろす方がいいのでしょうが。


あとは、差し当たり決めたことがどこか違うと気づいたとき、思い切って軌道修正することが大事。それが、過去の自分がとった選択の責任を、自分に対してとるということ。

そして今私がやるべきことは
Missionを考え出すより先に、
一つ一つの物事がWantの円に属するのかどうかを
自分の本心に敏感になって考えることかなと思います。
そして、Wantの全体像というか、大きな方向性だけでも見えたらしめたもの。


文はとてもぐちゃぐちゃしてますが、先輩のおかげで私の頭の中はだいぶスッキリしました。本当に感謝してます。


働き方に対するwantについてメモ。
この前書いた人と接するのが云々って話とつながりますが
チームで一つのものを目指して達成するような仕事がしたい。
Gみたいな感じで、一人一人がそれぞれの役割をこなしつつ、全体として一つの方向に向かっていくような場の一員として働くのが好きというのが
今のところ確かに分かっているwantです。
徒然草 ]
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誠実であること

周囲の人々全てに誠実であることを考えたとき
目の前の人に対しては確かに誠実な行動でも
そこにいない別の誰かに対して不誠実になることはいくらでもありえて
今目の前にないものまで広く考えてながら
ベストな行動を判断することを心がけなきゃなと
ちょっとしたことから思いました。

そんなことを考え始めると
元々の臨機応変な決断力のなさに拍車がかかりそうですがw

目先の利益だけを求めると
必ずそれよりはるかに大きな損をするもの。


徒然草 ]
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