Eggs&Seeds

キレイゴトと毒が目一杯詰まった法科大学院生のブログ。
いつか殻を破って何かになりたいと企みながら
頭に浮かんだ独り言をありのままに吐き出します。皆様見守ってやってください。
感想・ご意見その他、コメント・TB大歓迎☆(但し、スパムは見つけ次第削除させていただきます。)

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共有知識と広告

広告の重要な役割は「メッセージを伝える」こと。
同時に「他の人達も同じメッセージを受け取ったということを伝える」こと。

自分が知っていて、相手も知っていて、お互いに「相手がそれを知っているということ」を知っている知識のことを「共有知識」というそうです。
それほど必要に迫られていない「みんなが買うなら買う」という程度の欲求を購買行動に向かわせるには、そのような共有知識を形成する必要があるので、それも広告でやってしまおうというわけです。

試験勉強で読んでる参考文献の受け売り。ゲーム理論。
違う分野の本を読むのも面白い。

それはさておき、ふと思ったこと。
インターネットの個別化広告がシェアを伸ばし
従来型メディア広告が伸び悩んでいるのが現在の状態だとよく聞きますが
個別化広告では、その特質上二つ目の役割は担えないんじゃないでしょうか。
従来型メディアは視聴者が減っているとはいえ、
この役割に関しては大きな分がある。

共有知識化されて初めてニーズが顕在化する商品があるのなら
共有知識を作り出す広告のニーズは未だにある。
従来型メディアの広告の活路は
共有知識をいかに効果的に作り出していくか、に着目することにあるのかも。
私がこんなこと言わなくても、
広告業界の方々が既に考えてるはずですがw

もし従来メディアも視聴率が下がったりなんだりで
社会の結びつきが弱くなっていたり(本当かは知らない)で
そもそも共有知識が形成されにくくなっているのだとしたら
「みんなが買ったら…」程度の魅力しかない商品はどうにもならなくて
「自分だけでも買うぞ!」というほどの強烈な魅力のある、
それこそ消費者に強く訴えかけて
ニーズを新たに作り出せるような商品だけが生き残れるのかもしれません。

今まで知らなかった(俄か)思考ツールを手にすると、
ものの見方が多面的に広がってとても面白いですねw

徒然草 ]
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説得力

全く同じ内容を話しても、人によって全然説得力が違う。

例えば「なるようになる」って言葉一つとっても
どこに就職するかやっと決まったばかりの学生が言うのと、
人生経験40代50代の大人が言うのとでは、深みも重みも段違い。
とはいえ単に歳を重ねれば説得力が増すかというと、そういうわけではありません。
自信とか経験とか正確な知識とかとかが相まって、説得力を生み出します。

色々な人からアドバイスをもらって、
信じてみようかと思ったアドバイスも他のアドバイスも
内容だけを純粋に取り出してみればそんなに違わないことに気がついた。

アドバイスをするということは、内容ももちろん大事だけれど
言うべき内容っていうのにそんなにバリエーションは無い。
というのも、誰かに相談するときって大抵は
自分の中ではある程度「こうすべき」みたいなものがおぼろげに見えていて
それを客観的な第三者の視点で後押しして欲しいだけ。

だったら本当に誰かのためになるアドバイスをするには、
説得力があることがなにより。

説得力のある物言いができる人になりたいです。
一方で、他の人のアドバイスには説得力云々抜きにもっと素直に耳を傾けたいです。
いちいち反論してちゃ、何か大切なものを見落としちゃうものね。
徒然草 ]
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判断と決断

世の中には判断できないことはたくさんあるし
判断に必要な材料がそろわないことの方が多いけれど
それでも決断はしなくちゃいけない。

判断できないから決断しないっていうのがたぶん最悪の選択で、
決断して、間違いに気づいたらその時修正することが最良の選択。

それにほとんどの場合、大筋では間違わないようです。
直感は往々にして正しい。
徒然草 ]
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自己主張

確かに自己主張はとても大事だけど
自己主張って
ギラギラした競争意識をむき出しにして
相手とバチバチやって勝ち負けをつけることと
必ずしもイコールじゃない。

自己主張して、
自分にとっても相手にとっても
何かしら良い刺激になって
みんながベストを尽くせたらそれが一番。

目指すはWin-Win!
徒然草 ]
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目から鱗のキャリア論

目から鱗のキャリア論。忘れないようにメモ。
これを聞いた時はほんと感動しました。
「あ、目から鱗ってこういう感覚なのねw」みたいな。

どういう話かというと
Want・Must・Canの三円が重なり合う場所が、「自己実現できている」場所。
三円の位置は時の流れと共に変化し、三円の重なりの時系列変化を追った立体が「キャリア」。

ただ、ある時点を取り出した時
Want・Must・Canの三円が全部均等に存在している人はほとんどいなくて
大抵の人は、どれか二つに残りの一つが引き寄せられる形になっている。
けれど、自己実現のためには三円を描くことが必須。
その弱い一つを、所属組織の持つ円によって補いましょうというお話でした。

例えば、今の私だったらMustとCanが強く、Wantが弱い。
だったら、確固としたMissionを掲げている理念追求型の組織に属することで、Want部分を強化できるということ。

ちなみに、
・WantとMustが強い→リーダー型
・MustとCanが強い→総務・補佐型
・CanとWantが強い→プロスポーツ選手・アーティスト型
だそうです。

現時点の内的な力でどうしようもないものは
外的な力を借りて強化していく。
キャリア論に限らず、この原理は応用が利きそうです。

得意不得意に関しても
自分の弱いところや、改善したい部分があったら
それが強い組織や強い人達の近くにいって、強みを盗むのが手っ取り早い方法。
スキル本とかも確かにそうだよね。
得意な人はこうしています、をお手本に使うわけで。
もしくは、必然的にその能力を求められる環境(その場合、一定の失敗と再チャレンジが許されることも条件?)に身を置くという方法もありますね。
苦手な能力を使うことで、問題点がよりクリアーになって、能力自体も磨かれるというか。

これから自分の置かれる環境を選ぶ時には
「弱点を補うための選択」という発想を意識してみたい。
徒然草 ]
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気持ちのいい文章

自分の遭遇した嫌な出来事や負の感情を書いているのに、
読み手が全然嫌な感じをうけなくて
逆に読んでて気持ちのいい文章や元気になる文章ってありますよね。

それらに共通するもの。
ちょこっと気づいたことをメモ。
こういうものは見習っていきたいので。

・嫌な出来事や負の感情の原因を、最終的に自分に帰属させている。
他者を決して非難しないし、
自分の力でどうにもならないもののせいにしない。
だから誰も傷つけない。

・何か+を探ろうとしている、もしくは解決策に触れている
何とかして自分を鼓舞しようとしているのが感じ取れる文章は
マイナスだけで終わらない。だから単なる愚痴にならない。
徒然草 ]
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先入観

自分が何とも思わないものでも
他の人は面白さや驚きを見出すかもしれない。

自分にとっては当然で何でもない。
その先入観でばっさり切り捨ててしまうことは機会の喪失。

ある物事が自分にとって当たり前になるよりも前に、
自分がその物事に対して抱いていた新鮮な感覚を、大切に覚えておきたい。
徒然草 ]
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卒業の感慨…?

数日前、高校に遊びに行ったとき
高三時の担任の先生に
「大学卒業に当たって感慨はある?」と聞かれ
さむりんが熱く語ってるのを横目に
「ありません」と即答しました(笑)

その答えが確かに正直な気持ちで
ここまであっさりしてるのはなんでかなと思ったら
中学の卒業に似ているんだと思った。
(中学卒業も人によって捉え方は色々だろうけれど。)

4月からも、同じ敷地内の建物(下手したらお馴染みの教室)で、同じような先生達の、同じような授業を受ける。顔見知りも多いだろうし、今までと大きく何かが変わるわけじゃない。

私の場合は、卒業が何かしらの感慨を伴うとしたら
それが次のステージへの明確な区切りで、そして次に開ける世界に対してわくわくするような期待感があるからで
そういう意味では
今回の卒業は、形式的な区切りではあっても
私にとって実質的には何の区切りでもないんだなと感じました。

そんな生意気なことを言ってみても
卒業式当日になったら
また違うことを思うのかもしれません。
実際どう感じるかはまだ分からない。


少し話が変わりますが、私から皆さんにお願いです。
特に、今就活中の方も含め、私より先に学生から社会人への大きな区切りを迎えるだろう方々へ。

それぞれのフィールドで見違えるほど成長して、どんどん活躍してください。楽しさと可能性を見せつけてください。
そして私を羨ましがらせて、焦らせてください。

私が、みんなの背中が羨ましくてどうしようもなくて、学生でいる自分をもどかしく悔しく思うくらいに。社会に出るのを遅らせたその選択を、極端な言い方をすれば、正しかったか迷うくらいに。

私は根が怠け者なので
学生の身分に甘えてついつい怠けてしまいそうだから、
そんな時にみんなの頑張りから喝をもらえたらいいなと
既に甘えた発想をしていますw

頑張る頑張らないは自分の意志次第で
他人なんて関係ない次元の話、というのも確かに一理ありますが
何をどうしても今はかなわない人達、いつか追いつき追い越したいと思える人達が身近にいるってことは
自分が何かに真剣に取り組む意志を固める、覚悟を決めるための格好の材料なんですよね。
負けず嫌いの私にとっては特に。

あ、「追いつき追い越す」って言っても、勝ち負けのあるぎらぎらした競争をしたいわけじゃありません。良い意味で、負けず嫌いを発揮したいだけ。

ついでに大口叩いて強気宣言しておくと、
みんなが怠けていたら、数年の社会経験の利はひっくり返すくらいのつもりで虎視眈々と狙っていますので、どうぞよろしくw

というわけで
みんな頑張ってください。
私も置いてけぼりを食わないように頑張ります。

なんか調子に乗って滅茶苦茶書きすぎた気がしなくもありません。まあいいや。
徒然草 ]
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予言

不幸の予言をすることは誰にでもできる。
何も起こらなければラッキーで済み、何か起これば「予言が当たった」ことになる。

幸福を告げられた者は
努力もせず、あらぬ幸運を期待する。
何も起こらなければ「予言が外れた」と怒鳴り込んでくる。
幸運が来なかったというだけで不幸になる。

予言者は幸福を告げてはならない。

幸福を予言することはできないが
不幸は願いさえすればすぐにでもやってくる。

…以上、『黒鳥』(山岸涼子)の一部要約。


幸福は、ひたすら待っているだけでは掴めない。自分の行いや振る舞いで呼び込むもの。

幸福の予言は人間を怠けさせ、堕落させる。
その結果、そのまま頑張っていれば得られたかもしれない幸福の芽も摘み取ってしまいかねない。
また、幸福の予言は、現状満足による幸福を壊してしまう。一旦より良いものを手に入れたり、手に入れたも同然の状態になったりすると、もう今までの水準には満足できなくなる。飽くなき欲望を目覚めさせたという点において、不幸の始まり。やっぱり現状満足ってある意味では幸福の必要条件だと思う。

一方で不幸な予言は、「何とかしなきゃ」と人々を駆り立てる。結果的に、その行動のおかげでより幸福になることもあるのかもしれない。少なくとも、ただ漫然と現状維持をはかる人々の意識を、何らかの行動へと向けることになる。
そうした意味で、不幸の予言は
現状に満足した状態を維持したままで
本人も気づかないうちに現状の水準を引き上げることができて
結果的に大きな幸福につながるかもしれない。

幸福の予言が不幸を呼び
不幸の予言が幸福を招く皮肉。


とはいえ、不幸を告げられたら気分的に不幸になるかもしれなくて
それが「不幸は願いさえすればすぐにでもやってくる。」ってことなのでしょう。

あらゆる事実は価値中立的で、解釈次第で+にも−にもなる。
自分が−と受け取らなければ、どんな逆境だって「不幸」にはなりえない。
幸福になるのも、不幸になるのも、やっぱり自分次第。
客観的に見て幸福かどうかは
主観的な感覚に多少の影響は与えるかもしれないけれど
本人が幸福って思ったらそれが「幸福」なんだから、関係ない。

もちろん、「幸福」って何か、主観的な自分定義を考えておくことは必要ですが。
徒然草 ]
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美食と節約

というわけで
美味しい旬野菜が食べたくなってきた。
(比較的)手頃なとこだとカノビアーノカフェ?

東京だと、野菜の味がする料理ってなかなか食べられないよね。それなりの対価が必要というか。田舎だと、種類は限られているかもしれないけれど、美味しい野菜が格安で手に入る機会はたくさんある。私の実家だと、魚貝類はなおさら。


外国人向けの東京ガイドブックに
「何を食べるかの制約条件は予算だけ」
って趣旨の内容が書いてありましたが、ほんとその通り。
いつでも何でも食べられることの便利さに対する対価だと思えば
決して不当な価格設定ではありませんが、学生にはなかなか厳しい…w


とはいえ時々美味しいものを食べることは
私には不可欠の息抜きなので
そういう贅沢は必要経費。
削る気は全くありませんw

あと自己投資コストも惜しんじゃダメだと最近認識しました。

必要なコストを削ってしまうと、長い目で見れば浮いた分以上の損をする。それを節約とは言わない。

ってわけで、必要な息抜きにも自己投資にもなっていない、「無駄な」コストをちゃんと見極めて節約しようと思います。その分より多く必要なコストに回せるように。
コンビニでつい買っちゃうお菓子と、店頭でつい買っちゃう化粧品類と、小物屋さんでつい買っちゃう雑貨類…辺りが削る余地ありっぽい。
「つい」って危険だ。

一見「無駄」に見えるものが
本当に無駄なのか、それとも実は必要なのか
「必要」という判断は冷静・客観的なものか…
見分け方って難しい。
徒然草 ]
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