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キレイゴトと毒が目一杯詰まった法科大学院生のブログ。
いつか殻を破って何かになりたいと企みながら
頭に浮かんだ独り言をありのままに吐き出します。皆様見守ってやってください。
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辞書の見出し語、日本語の行末

一週間ほど前、読売新聞上の記事(一面広告?)が目を惹いた。

何やら辞書風のレイアウト。
右下には「明鏡国語辞典」(大修館)の写真。
始めは単なる辞書の宣伝かと思った。

項目を見てみると

「粗辞」
つたない挨拶。自分の挨拶を謙遜していう。

「異装」
校則に反した服装。アクセサリー・化粧禁止の学校ではそれも含む。
   「いそけん」異装検査の略。

「与謝野る」
髪が乱れていること。与謝野晶子の「みだれ髪」より。
類語:フランシスコ=ザビエーる(髪がないこと)

こんな感じのがつらつらと並んでいる。

順に読み進めた私は
「粗辞」にふむふむ、それなりに納得。
「異装」で少々?がついて、
「与謝野る」にはなんだこりゃ?
「フランシスコ=ザビエーる」には家族揃って失笑。

どうやら、明鏡国語辞典の新装版発売に伴って大修館が募集した「辞書に載せたい日本語」の優秀作品発表のようだ。

なるほど、辞書に載っているようで載っていない日本語から、ごくごく限られた層にしか使われない流行語の類まで、様々な語が並んでおり、現代の日本語を巧みに反映しているようにも思える。

確かに面白い試みであるとこに違いは無い。
しかし、気になったことが一つ。
このキャンペーンは一体何がしたかったのだろう?
辞書に載っていない意外な言葉の発掘?
流行語大賞?若者言葉の正当化?風刺?

こんなことを思うのは、受賞作品の大半を俗語が占めているからだ。
例えば、「秋葉系」「与謝野る」「置き勉」。
聞いたこともない単語がかなりの割合で散見されるのみならず、本当にこんな言葉を「辞書に載せたい」のか、と首をひねりたくなる単語も数知れない。

そもそもこのキャンペーンは、「辞書に載せたい日本語」と銘打って、見出し語と定義を募集したものだ。
普通、辞書の見出し語になっているものは九割がたが標準口語と文語である。
俗語も多少載ってはいるが、その旨の註釈が付されている。

標準口語と文語は、語弊のある言い方かもしれないが「正しい日本語」である。
日本中どこへ行っても、誰に対しても、恥じることなく使える言葉として認められた言葉だと言えよう。

一方の俗語は、限られた場所・限られた相手にしか通用しないし、使うべきではないという場合も多々存在する。

そしてはっきりとは言えないが、「正しい日本語」には俗語に無い"何か"があると私は感じる。
きっとそれが、「正しい日本語」が広く普遍的に通用する所以であろう。
それは例えば芭蕉や子規の作品に奏でられた、独特のリズムであり、語感であり、響きであり、品格であり、
他のどんな言語にも真似できない日本語特有の「美」と呼べるものであるのかもしれない。

このように「正しい日本語」と俗語とには、本来的に純然たる違いがあり、あって然るべきとも思う。

今回のキャンペーンのように、「辞書に載せたい日本語」として俗語に安易に賞を与えることは、その壁を曖昧なものにしてしまうのではないだろうか。それも、受賞作品中の俗語の定義は、俗語であることに言及の無いものが大半であった。

無論、俗語が「正しい日本語」に昇格する事例を完全否定するわけではないし、俗語を使うなと言っているわけでもない。
私だって、友人との会話ではしばしば流行語を使う。

ただ、今回受賞作品に選ばれたものは、「正しい日本語」として熟していないように感じたのである。
先ほど述べた、「正しい日本語」にはある"何か"が足りない。
まだ俗語の域を出ていない。

その俗語を「辞書に載せたい日本語」として表彰することは、「正しい日本語」として認められているとの誤解を与えかねないし、また本来であれば"何か"の備わっていない、まだ時期尚早であるうちに「正しい日本語」として認められることを助長してしまうかもしれない。一過性のものであれ、そのようなものと認知されてしまうかもしれない。

私見だが、俗語と「正しい日本語」との壁が弱まることには、どうしても「正しい日本語」の持つ"何か"が侵食されはしまいか、という懸念が付きまとう。あくまでも俗語は俗語として、通用範囲が限定されていることの認識を不可欠の前提として、使用するべきであって、「正しい日本語」との間には高く大きな壁が無ければならないと思うのだ。そしてまた、その壁が曖昧になればなるほど、次から次へと生まれる無限の俗語の中に「正しい日本語」が埋もれてはしまわないだろうか。

このような考え方は古いのかもしれないが、「〜でよろしかったでしょうか」「〜のほう」「〜円からお預かりいたします」といった居酒屋敬語や、何でも省略したりカタカナ語を使ったりとするギャル言葉はどうしても美しい、きれいだと感じられない。

「なぜ?」と聞かれても答えに窮してしまうが、
何となく耳に残る不快感。釈然としないものがある。

言葉はもちろん、時代に合わせて変化する。
けれども、悠久の昔から日本人が親しみ続けてきた「正しい日本語」にこそ存在する美と存在感。
形は変わっても、それだけは失わずに変化して欲しいと思わずにはいられない。

その上でも、「正しい日本語」と俗語を画する一つの基準足りえる辞書の役割は大きいだろう。


最後に一言。
この記事、三時間かけた文章を完成間近で誤って消去。
泣きたい気持ちで書き直しました・・・

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◆参考URL

明鏡 国語辞典
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徒然草 ]
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COMMENTS

posted by 素町人@思案橋  at 2006/03/30 10:44
 突然で恐縮ですがご招待です。
「日本語ってむずかしい」クイズを作りました。
「『催告書』と『督促状』はどうちがうの?」という記事です。
問題は、「実際にあった催告書は?」
選択肢が4つ □年金未納者に対して □NHKが朝日新聞に対して □保健所が犬の飼い主に対して □英会話のイオンがジャスコグループに対して
答えは→ http://q-q.at.webry.info/200603/article_104.html
他にも500問ほどのクイズがあります。退屈で死にそうな折りにどうぞ。
(ご迷惑でしたら、お手数ですがコメント、TBの削除をお願いします)
posted by Hyaru  at 2006/03/31 10:13
また、コメントさせていただきます。

「問題な日本語」の大ヒットで味をしめた大修館の勇み足ではないでしょうか(笑)。
今回の『日本語』は,「(投稿者が)辞書に載せたい(と考えた)日本語」であって,おっしゃるような「(国語辞典に掲載されるべき)正しい日本語」ほど厳密なものは想定されてないんだと思います。
俗語が一般化してしまうことを助長するのでは,とご心配されていますが,私はそれは無用に思います。今回のキャンペーンよりもっと有名なものに「流行語大賞」がありますが,歴代の受賞語の中で今現在根付いたものはどれだけあるでしょうか。
posted by すずめっぐ  at 2006/04/01 01:04
コメントありがとうございました。
確かにおっしゃる通り、きっと深い意図のあるキャンペーンではないと思いますし、流行語大賞含め単発での影響は微々たるものだと思います。けれど、その積み重ねが心配です。杞憂かもしれませんが、たとえ俗語が一般化してあたかも「正しい」かのように扱われるまでいかなくとも、マスコミを通じて共通の俗語が全国的に氾濫することで、またそうしたことが少しずつ積み重ねられるうち、徐々に”何か”を持った「正しい日本語」が使われなくなって、気づいたら消滅してしまうのではないか、という心配は拭えません。今回のキャンペーンでどう、というよりは将来的な漠然とした不安です。
もっとも、そうなってしまったとしたら、”何か”の概念が変化して、その「正しい日本語」はもはや「正しい日本語」としての地位を退いたと考える方が自然かもしれませんが。。。
posted by Hyaru  at 2006/04/01 10:03
「マスコミの影響力」は考えなければいけませんね。ある種のお墨付きともいえますし。抵抗力のない子供なんかが身に付けると、世代交代で市民権を得てしまう可能性が強いです。
ちょっと違うかも知れませんが、変な略語で気になるときがあります。例えば「食洗機」。食器を「食」で表すのがなんとも違和感。で、役所からの購入補助のお知らせ文書にも使われていたりして、いつの間に正式略語に?という感じです。
・・・またまたのお邪魔・失礼いたしました。
posted by すずめっぐ  at 2006/04/02 13:53
「食洗機」ですか!?初めて聞きました。そんな略語があるんですね。私も違和感を感じます。
ただ、逆に役所の方がまだ一般的には馴染みのないカタカナ語等を多用する傾向があるようにも感じます。最近は批判を浴びて言い換えが進んでいるようですが。
これは役所に限らないと思いますが、ある特定の集団の中に身をおいて、そこで日常生活の大部分をすごしていると、そこで当たり前になっていることが、世間一般の常識のように錯覚してしまうことが起こりやすいと思います。当の本人には自覚がないことが多いでしょうから対策は困難かとも思いますが、私自身そうならないように気をつけたいものです。





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