Eggs&Seeds

キレイゴトと毒が目一杯詰まった法科大学院生のブログ。
いつか殻を破って何かになりたいと企みながら
頭に浮かんだ独り言をありのままに吐き出します。皆様見守ってやってください。
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予言

不幸の予言をすることは誰にでもできる。
何も起こらなければラッキーで済み、何か起これば「予言が当たった」ことになる。

幸福を告げられた者は
努力もせず、あらぬ幸運を期待する。
何も起こらなければ「予言が外れた」と怒鳴り込んでくる。
幸運が来なかったというだけで不幸になる。

予言者は幸福を告げてはならない。

幸福を予言することはできないが
不幸は願いさえすればすぐにでもやってくる。

…以上、『黒鳥』(山岸涼子)の一部要約。


幸福は、ひたすら待っているだけでは掴めない。自分の行いや振る舞いで呼び込むもの。

幸福の予言は人間を怠けさせ、堕落させる。
その結果、そのまま頑張っていれば得られたかもしれない幸福の芽も摘み取ってしまいかねない。
また、幸福の予言は、現状満足による幸福を壊してしまう。一旦より良いものを手に入れたり、手に入れたも同然の状態になったりすると、もう今までの水準には満足できなくなる。飽くなき欲望を目覚めさせたという点において、不幸の始まり。やっぱり現状満足ってある意味では幸福の必要条件だと思う。

一方で不幸な予言は、「何とかしなきゃ」と人々を駆り立てる。結果的に、その行動のおかげでより幸福になることもあるのかもしれない。少なくとも、ただ漫然と現状維持をはかる人々の意識を、何らかの行動へと向けることになる。
そうした意味で、不幸の予言は
現状に満足した状態を維持したままで
本人も気づかないうちに現状の水準を引き上げることができて
結果的に大きな幸福につながるかもしれない。

幸福の予言が不幸を呼び
不幸の予言が幸福を招く皮肉。


とはいえ、不幸を告げられたら気分的に不幸になるかもしれなくて
それが「不幸は願いさえすればすぐにでもやってくる。」ってことなのでしょう。

あらゆる事実は価値中立的で、解釈次第で+にも−にもなる。
自分が−と受け取らなければ、どんな逆境だって「不幸」にはなりえない。
幸福になるのも、不幸になるのも、やっぱり自分次第。
客観的に見て幸福かどうかは
主観的な感覚に多少の影響は与えるかもしれないけれど
本人が幸福って思ったらそれが「幸福」なんだから、関係ない。

もちろん、「幸福」って何か、主観的な自分定義を考えておくことは必要ですが。
徒然草 ]
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