Eggs&Seeds

キレイゴトと毒が目一杯詰まった法科大学院生のブログ。
いつか殻を破って何かになりたいと企みながら
頭に浮かんだ独り言をありのままに吐き出します。皆様見守ってやってください。
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数学の主観性

素人目には絶対的な唯一解がありそうに見える数学の世界も
限りなく100%に近い正解を出せるような問いは既に解き尽くされていて
最先端分野はむしろ主観的な世界なのだという話を伺いました。

その主観をいかに律して、単なる思い込みに陥らないようにするか、が最大の課題なのだそう。

どこの世界も似たようなものですね。何が正しいかなんて誰にも分からなくて、分からないなら分からないなりのアプローチの仕方というものがあって。

正解の探求を諦めるわけでは決してなく、「正しくない可能性」を正面から自覚することと、その可能性の存在にいかに対処するかを考えること。

そんな共通項を感じた一方で、理系と文系の思考方法(というかコミュニケーション?)の決定的な違いを発見し、軽くカルチャーショック。

理系の方が会話をするときの共通言語は「図形」なのだそう。文字化された数式はあくまでその次。二人で会話するときはお互いにある図形を頭に描いて、それを媒介に「あれがこう」「この部分がああなるから…」という形態で意志疎通をはかるということでした。だから、表面に現れる(口に出された)言葉だけを捕らえるても、抽象的で何が何だか分からない会話なのだそうです。逆に言えば、共通の図形を思い描くことさえできていれば、意志疎通は極めて容易で、一般にいう「ことば」は大して重要じゃないのだとか。頭では理解できるけど、なんだかピンとこない。

法学はそれとは対極で、ひたすら「ことば」を使う学問ですよね。どこまで「ことば」に含めるかという定義の問題もありますが、ややこしくなるので気が向いたらそのうち。

なんでそもそもこんな話になったかというと、法学部の授業では黒板を滅多に使わないと言ったら、相手の方が「それでどうやったら授業が成り立つのか全く想像できない」とおっしゃったのが始まりでした。お互いにとって摩訶不思議な領域の話だったもようです。
徒然草 ]
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