Eggs&Seeds

キレイゴトと毒が目一杯詰まった法科大学院生のブログ。
いつか殻を破って何かになりたいと企みながら
頭に浮かんだ独り言をありのままに吐き出します。皆様見守ってやってください。
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黙示のアドバイスに気づけるか

黙示のアドバイスに気付いて、それをアドバイスとして受け止めることってとても大事。
大袈裟に言うと、その積み重ねが、いつか大きな差になって表れるような気がします。

「こうするべき。」「こうしたらいいのでは。」「それはおかしい。」
のように、それとはっきり分かるアドバイスは、
世の中に溢れている提案やアドバイスのうちのごく一部。

でも本来は、自分と違うものが表面化している限り
それらは全て、自分にとっての提案やアドバイスになり得るはず。

「自分はこうしてる」「ある人がこうしてた」
「最近こんなことをした」「こういうのっていいよね」
とか、そういう何気ない言動の全てが
話している本人にとって、アドバイスしている意識があろうとなかろうと
いずれにしても聞き手にとっては、
その内容に自分と違うことが含まれるのなら
アドバイスになり得る。
本の中の一節でも同じこと。

けれど自分のことを振り返ってみると
そういう黙示のアドバイスに対しては、自分に関係あるアドバイスであることにすら気づかずに
流してしまっていることが実はかなり多い。

あのときのあの発言を、取り入れていれば。
そんな風に思うことは誰でもあると思いますが
その後悔は「あのとき」の判断に対する後悔じゃなくて
そもそも「あのとき」判断材料に入れてすら含めなかったことへの後悔という場合が
ある。

十分な判断材料を持って判断して、
それでも間違った判断を下してしまったのなら
それはある意味でやむを得なかった、仕方がないことだと思いますが
判断の前に、できるだけ多くの判断材料を揃えることならば
自分の態度次第でいくらでもできるんじゃないかと思いました。

一見アドバイスだとははっきり分からなくて、
そうとらないこともできるような言動や文章を、
しっかりアドバイスとして受け止めて、
その選択肢を自分の判断の一材料に加えるために
普段から敏感なアンテナを張り巡らしておく。

その積み重ねで、視野が大きく広がって、成長の機会も一気に増える。

ただ、こんなふうに一般論を抽象的なことばで書くと簡単なように聞こえますが、実践が難しいんですよね。一般論ばかり語って、実践できるほどにブレイクダウンできないのは
私の大きな欠点でもありますが。


それに明示的なアドバイスって、話手にとっても使いにくいものですよね。
だからよけいに黙示のアドバイスを受け取るって大事だと思ったのですが。
言い方にもよるのでしょうが、明示的なアドバイスは
それを受け入れるか受け入れないか、どちらか一方の方向(どちらかは相手の性格や、話しているときの状況による)に強く傾いてしまいやすい。
その傾きは選択肢の内容自体の吟味によってじゃなく、選択肢の内容それ自体とは無関係の他の要素からもたらされるもの。

自分にとって何がベストか、一番よく知っているのはその人自身をおいて他にいないだろうから、アドバイスを採用するかどうかはあくまでも相手の判断で、できることなら中立的な材料だけを提供したい。
バイアスをかけずに明示的なアドバイスをするだけの技術がないので、そうなるとどうしても明示的なアドバイスをすることは避けがちになります。

明示的なアドバイスを使うのは
「どうしたらいいと思う?」とはっきりアドバイスを求められたり
相手の行動が「間違っている」と思ったりしたときくらい。

ただ、「間違っている」と思ったときに関して言えば
言葉を飲み込んでしまうことも結構あります。

結局それはお互いにとってその場凌ぎでしかないし、
言って事態が好転したことはたくさんあっても
飲み込んだ時は結局悪化したことしかないので
悪い癖は直したいものです。

間違いと思ったことは「間違いだ」とはっきり言える人でありたい。
徒然草 ]
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